京都新聞  窓 欄  50歳

英語で考えて話せるまで


十四日付「小学校から英語l教育」を読んで考えてみた。

語学上達は置かれた環境によるところが大である。

日本人が日本語しか話さない環境で生まれて育てば、不自由なく

日本語が話せるようになる。

英語と日本語とでは文法的構文の特質に大差があるが、中国語、フランス語、

ドイツ語などは英語のそれに近い。母国如何によって学習しやすい外国語と、

そうでないものとに分かれる。現在のごく普通の学校での英語学習では、英語で

一人歩きするには、かなり厳しい現実がある。耳からの英語を、いったん日本語に

置き換え、意味をそしゃくし、日本語で返事を組み立ててから再びそれを英語に

翻訳してから言葉にする。真に英語をマスターした者は英語で聞いて英語で考えて

英語で答えられる。

日本人は異文化の混入に慣れていない。その国のシンボルでもある言語を、学び

吸収する過程で、「私とは異なるもの」を受け入れるエネルギーは、また「大勢とは

異なるもの」を排除しようとする傾向にある。

小学校からの英語教育には賛成である。ただし、英語も母国語も同じ比重でマスターしたい。

そうでないと思考力の未熟な児童たちは、どちらの言語にも半端な表現力しか身につかない

ことになる。言葉はその人間の人格であり、心であり、生きていくうえで重要な精神の

糧となるから。