京都新聞  こまど 欄  昭和61年4月 40歳

花冷えのころ

 満開の桜の花の下をくぐり抜けるとき、生まれて初めて一人、

下宿生活をスタートしたころが思い出される。

 下宿探しや家具を買い求めるにも、父が手を貸してくれた。

信号を気にするほど、交通量の多い土地に生まれ育たなかった

私は、父とハミガキのブラシやオハシを買っての帰り道、小さな

商店街の信号も目に止まらず、傍らの警官に「もしもし、赤信号ですよ」

と、笑われた。

 通行人のちょう笑的な視線に、父と一緒に思わず首をすくめたものだった。

 一通り日用品を買いそろえると、父と嵐山を訪れた。渡月橋を渡ると、満開の

花の下は人、人の波。田舎者の私はその人出に酔った。

 そのうち、父も田舎に戻ってしまい、ポツンと一人下宿の六畳の間に取り残された

私は、電気もつけず、いつまでも座り込んでいた。

 口うるさい親の監視の目を逃れて、夢いっぱいの一人暮らしのはずだったが、

案に反して心細いものと知った。

 外は春らんまん、新しい生活へとフレッシュな季節なのに、花冷えのする、

ちょうど今ごろ、京都の市電が15円の時代のことである。

 あれから、父は天寿を全うし、私も二児の母となる。