人間嫌い(Kさんのこと)

大学に入って間もない頃、専門科目の授業を受けるべく、教室に入った。

バラバラと半数くらいの学生が席に着いていた。席を探す私を、前の方に座っていた

一人の女子学生が、振り向いて満面の笑みを浮かべた。私には彼女のオーバーな

会釈が奇妙に写った。何十人といる同じ専攻の者たちと、それほどの日数を過ごした

とはいえない。その女子学生の顔さえ私は覚えていなかった。

色の白いほっそりとした、極普通の容姿のその子は、それからも私が教室に入ると、

必ず同じ行為を繰り返した。いつも私は彼女とは少し離れた席に着いた。微笑み返すこともなく。

彼女の不自然に思える、つまり作り笑顔が納得いかなかった。

私は小さい頃から体操が苦手であった。

文学部英米文学科を専攻した私は、まさか大学に入ってまで体育の講義があるなど

夢にも思わなかった。だから、単位を取るためにだけ出席せざるを得なかった。

そんなある体育の授業でバレーボールをしていた。やる気の無い私は出来るだけボールの

やってこないコートの隅っこに身を潜めて時が過ぎるのを今か今かと待っていた。

そのときである、コートの中ほどで、両腕を身体の前で揃えて、伏し目がちにじっと立っている

Kさんを観た。物憂げにただ,つ立っている彼女は、いつもの微笑み返しする人ではなかった。

ハッと私の視線に気づいた彼女は、見る見る間にいつもの笑顔に戻ると、肩をすくめて見せたのだ。

その日から二ヶ月は経っただろうか。彼女と極仲のよいクラスメートからこんな現実を聞かされた。

Kさんは継母に育てられていて、その人に”女の子は大学なんか行かなくてよい”と、反対され続けていると。

そんな事情を知った頃から彼女の姿が学内から消えた。”人間嫌いになって、家に閉じこもり、友達からの

電話にも出ることはなく、一人、小説なんかを書いているらしい” と、仲良しさんから聞かされた。

きっと入学当初から彼女は一人で苦しんでいたのだろうな、そしたらあのつくり笑顔は、彼女自身の

辛い本心を悟られまいとするお芝居であったに違いない。あの日のバレーボールのコートの彼女の

姿こそKさんそのものであったに違いない。

私は、卒業して社会人になり、結婚して母親になってからも、時折、Kさんのことが思い出された。

そして、かなりの歳月が過ぎてから、卒業者名簿を手にする機会があり、覚えのある面々の現在を

確認してみた。朗報の多い中、”死亡”などという思いがけない現実もあった。そして、Kさんの欄は

空欄に、、、。卒業していないということになる。

あのころから、半世紀は過ぎる。やはり私は今もKさんのことを思い出す。