哲学科の女子学生
学生時代、私は三冊の日記帳を持っていた。1冊目は、その日あったこと、2冊目はいつも心にひっかかっていること、
3冊目には、講義をさぼって、ふらっとお寺など訪ね歩いて、感じたことを書く、かっこよく言うなら、紀行文のような
ものを書くのだ。大学には文芸同好会というサークルがあった。私はその部室の前まで行っては引き返す行動を
繰り返していた。小説や随筆なるものを書きたいと思いながら、自信が無かった。そして、自分の胸の内を吐露
したものを他人に読まれるなんて、恥ずかしいと思っていた。
ある日、やはり決心がつかず、部室の中には入れないまま引き返していたら、一人の女子学生が静かに近づいて
来て、「哲学科のkです。ねえ、書きましょうよ、一緒に書きましょうよ」と、声をかけられた。私は、もぞもぞとして
「考えておきます」と応えて、逃げるようにその場を去った。私は、自分の行動の一部始終をその文芸同好会の
メンバーであるにちがいない女子学生に見られていたのだ。
黒髪を肩までストレートに伸ばし、真っ黒なワンピースが、いかにも”もの”を書く人、という印象を与え、そのときの
恥ずかしさはその後も忘れず蘇ってくる。
そして、言わずもがな、私は、その日を堺に二度と部室には行けなくなったのである。
三冊の日記帳は、卒業して社会人になり手を付けなくなった。けれど、時を経て結婚など三回の引っ越しにもなくすことなく
、ときどき読み返しては、遠く若かった日を懐かしんだ。けれど、十年くらい前、ふと思った。自分が死んだ後、誰かの
目に触れることは嫌だった。自分だけのものにしておきたかった。三冊の日記帳は、燃えるゴミの日にあっさりと捨てられた。
もう誰も、私の青春の軌跡を暴くことは出来ない。記憶という私の頭の中にしか、それらは手繰り出せない。