京都新聞   窓 欄     48歳


魅力的講義で 私語吹き消せ


先日の本紙で、大学の講義の最中、学生の私語が多い、と言う

記事を読んだ。原因の一つに、かつての「ながら族」が挙げられていた。

何かするにもステレオやラジオを聴きながらやるという習慣が、沈黙出来ない

要因という。

 そういえば、成人式を終えた我が息子にも、そういう時代があった。今も

自室にいるときは、ステレオの音が途絶えることがない。

 三十年も前のこと、大学の学部共通科目に社会学を専攻したことがあった。

私立の総合大学の学部共通科目だけあって、受講者数もマンモス教室に入りきれないほどに

膨れあがっていた。一年間、受講者の数は増える一方だった。

 これはごく珍しい現象で、専門科目ではない講義で、あれほどの学生が魅力を覚えたのは

なぜだったろうか。国立大学から講師として招かれた三十代前半の先生で、「猿の社会」を

テーマにした、講義だった。

淡々とした口調だが、自らの研究に傾注しておられる熱意が私たちの胸にも伝わってきた。

学生の間で、何度も歓声が上がるほど。毎回の講義の終わりには拍手さえ送られた。

 私は今も子供たちにそのときの感動を話して聞かせる。大学は学問を専門的に追及する場で、

苦闘するのは当然だろう。しかし、中には講師と学生が一つとなって、私語も居眠りも吹き飛ばし、

湧きあがるようなムードのある講義もあっていいのではないだろうか。