これは,一年半の間通って,文章の基礎を教えてもらった教室の同人誌です。
昭和58年頃です。
国会図書館にも置いてもらっています。
習作 1
ダリア
ダリアというもの、あれは夏から晩秋にかけて咲きつずければ、それはそれで
天寿を全うしたとは言えまいか。それが霜月をとうに過ぎ師走がやってきて、なお
容色衰えぬとあっては、どうにもそれを愛でる側にとっては、おちつかぬ。花の盛り
は盛りで、できればその面目をたもっておいてやりたいと私は思う。やれ、こがらしや、
霜や、と痛めつけられてゆく、心もとない姿はそれが愛おしくあればあるほど目にはしたく
ないものだ。私が最初その大輪のダリアを、毎日通る十字路の角屋の庭で見染めたのは、
まだ秋の盛りであった。子供の顔ほどもある花の大きさと、二メートルはあろうか、その背丈に
私は惚れ惚れした。さらに花の色はオレンジといおうか、赤みがかった肌色とでも表記すべきか、
それは極めて私好みであった。ここまで育て上げてくれたダリアの主に、私は一面識もないまま、
ただただ感服した。
神無月、霜月、師走と、それは私の心を決してあらぬ方へと、なびかせるものではなかった。
私は私で、それの、どこまでも色艶そこなわぬ心意気に真底まいっていた。
ところがそのダリアを囲む垣根の山茶花がパッと満開に」なったとき、私は不覚にもその
ダリアを”季節をわきまえぬ、こまったやつ”そんなふう責めるはめとなってしなった。
”冬には冬の花”
花のいのちとでも譬えるべきか。その峠はいったん登り詰めたなら、もはや下りゆくしか
ないことを、私はもっと早い時期にそれにいいふくめてやるべきであった。
日毎、一層のあでやかさをふりま、くサザンカのすぐそばで、むざんに朽ちゆくダリアに
‟逝かないでほしい”とは私こそ時季をわきまえぬ。”私だってできることなら、おまえのあの
匂いたつような風格を、おまえが思う以上に傷つけたくなかった。
習作 2
咳
小二の長女が風邪をひいた。
娘をのせ私は夜道、病院へと自転車を走らせる。まだ六時過ぎなのに体中針を刺すような
冷たさだ。私の後ろでコンコン、コンコンと娘は咳をする。熱もなく、いたって活発。これまで
娘は風邪をひいても咳など出たことがない。今回は咳が出る。
”なんでや”二人でくびをhじねる。
年子で小4の長男は気管支が弱い。風邪をひくと、必ずぜんそく性のひどい咳をする。
夜も昼もなく、それは続く。顔面は土色と化し、横臥できず座位のまま深夜を耐える。
子も親も涙がほとばしる。幾夜、この世にこんな病気のあることを恨みに思ってきたことか。
「きっと治ります。お母さん気イおとしなはんな。この程度のもん、体力さえついてきたら、
きれイになくなります。も、ちょっとでっせ!」
どれ程の、ぬくもりを主治医の言葉は仕事をもつ私に与え続けてくれたことか。
その長男も今夏、自ら少年野球に挑戦しはじめた。体質も年々改善されつつある。
発病回数も確実に減った。症状もウソのように軽くなった。三月生まれのクラス一番のチビ。
息子のユニフォーム姿に不覚にも私のほほをなまあたたかいものが伝ってしまう。”本当に
よくここまで”と息子にとっても決して安易ではなかった九年という歳月を私はジッとかみしめる。
心の底から”今”をありがたいと思う。
長女の風邪など長男に比べらると問題外であった。なのに咳に慣れていない長女は、その
たびに目を白黒させる。
いたいたしい。通院五日目。もう治るか治るかと私は業をにやす。
この道。
通いなれているはずなのに、心の中まで凍てつく、上弦の月の冴えわたる冬の夜道である。