大学四回生の頃だと思う。小さな夜のお店で、一週間アルバイトをしたことがある。

京都市内で下宿生だった私は、仕送り以外の金銭」は親に負担をかけたくなかった。

家賃と食費は賄えても一人暮らしというものは、結構お金が」かかる。

季節が変われば、着る服も同じという訳にはいかない。おしゃれもしたい。

仕送りの日が近づいてくると、懐具合が次第に心細くなる。当時、学食の

素うどんが40円という時代。市電の一区間の大人の運賃が15円。

そのバイト先の賃金がいくらだったか、もう忘れてしまったけれど、とにかくお腹がすいていた。

バイト料が入れば、まず温かいきつねうどんを食べようと、決めていた。二月のことである。  

が、店の前まで来ると何か様子がおかしい。ドアに大きな張り紙がしてあって、どうやら

廃業したらしい文面が、目に飛び込んできた。かたく鍵のかかった店の扉の前で、

私は、しばし動けなかった。何も知らされていなかった。しばらくたってから、店を閉る理由が一つ頭に浮かんだ。

バイト中、小耳に挟んだのは、ママとマスターが絡む傷害事件であった。私はどれくらいの

時間店の前に立っていたろうか。なすすべもなく下宿に戻るしかなかった。運よく上着のポケットに

は市電に乗って帰れる15円だけが入っており、それをギュッと握りしめた。

冬の京都は底冷えがする。花街の夜の喧騒も、どこか遠くのことのように思いながら、凍てて

滑りそうな道を肩を落として停留所に歩き始めた。

翌朝私は思いついた。通学路には、”裁判所前”という市電の停留所がある。もし傷害事件なら、店の

それを扱っていれば、ママの自宅の電話番号や住所を教えてもらおうと。

携帯電話など無い時代。翌日、公衆電話で裁判所の電話番号を調べて、事の次第を話した。返事は、”確かに

そぅした事案は扱ってはいるが、個人情報は教えられない”、と。私はがっかりした。

どうしても諦めきれず次の日にもう一度電話で頼んでみた。けれど、”お気の毒ですが・・・”と、同情はしてもらえても、

言うことを聴いてもらえなかった。

私は、なぜバイト料を払ってくれなかったのか、たとえ一週間の学生アルバイトでも、ただ働きさせた

ママやマスターの”心”というものに、自分なりにあれこれ思考を巡らせてみた。

そして人というものは、またそういうものでもあるのだということを思い知ったのである。

青い日の、私という世間知らずが味わった苦い経験の一つではあった。