京都新聞  窓 欄    48歳


母を送り見た 事態の重大さ

震災でガスの供給を絶たれた宝塚市在住の母を預かっていたが、

予定より早くガスが使えるようになったので、土日を利用して、夫の

運転する車で、母を兄夫婦の待つ被災地に送り届けた。国道一号を経て、

京都南インターから名神高速に入る。

 高速を降りると、青いビニールシートをかけた住宅、傾斜したビル、屋根瓦の落ちたアパート、

外壁のはがれ落ちてしまった家、倒壊家屋が撤去され、土だらけのなった空間、波打つように

突き上げられて歩行困難な道路・・・・・あの日の爪跡に目を見張った。

 がれきを満載したトラックが私たちの車を追い抜いて行く。実家はうそかと思うくらい被害が少なかった。

一軒置いたお宅は全壊。隣人や兄たちが必死でご家族の救護に当たったと聞く。ほかではもっともっと悲惨

だったと兄は声を詰まらせた。

 役目を果たしての帰路、すれ違う東進車の中、救護隊の赤いランプの車が何台も何台も

連なる。事態の重大さに心が痛む。「橋梁落下のため、制限速度四十キロ」「二十トン以上の

トラックは通行禁止」と規制された渋滞の高速道路を宝塚インターまで、普段の三倍の時間をかけて

たどりつく。

阪神の空。そこには京都では見ることのできない情景がある。低空飛行の飛行機の機体の大きさと、

もの凄いごう音である。エキゾティックな港神戸はいうまでもなく、阪神の空の下に、一日も早く活力の

戻ることを祈っている。