京都新聞    窓  欄    48歳

水仙咲く故郷・淡路島を思う


故郷の淡路島を震源とする阪神大震災。

これほどの惨事を想像し得ただろうか。

あの日の未明、私自身ベッドの上で、ただ事ではないと感じたものの、

我が家は足もとのテレビ、ベランダの数鉢が落下した程度で被害らしい被害は

なかった。それに比べて昭和55年に淡路島から宝塚市に移転した生家では、家屋の

倒壊は免れたものの、ガスの供給を絶たれて、数日前からわが家に実母を預かっている。

付近には全壊家屋、その下敷きになって亡くなられた方もおられると聞く。

一方、神戸市西区在住の実弟には幸運にも被害はなかったと胸をなで下ろす。同じ

神戸市でもこの明暗には天災のむごさを思う。

地震時に球根が投げ出されてしまったベランダの水仙の鉢植えを元通り植え替えて、

居間に置いてやった。次々開花してゆく花を眺めていると、故郷の淡路島を思う。

震源とは逆方向の南淡町という海沿いの土地に水仙郷は広がる。今ごろは花は盛り

だろう。島の人たちの暮らしぶりはいかばかりだろう。温暖にしてのどかな島の生活を

一変させてしまった今回の地震。離れて遠いひとたちのご無事をと願う。虫の知らせだろうか。

今年こそは水仙郷を訪れてみたいと、故郷が妙に懐かしく思い出されていた矢先の出来事だった。

震災の日から二週間以上過ぎる。今冬一番の冷え込みの朝、居間に入った途端、全身に

水仙の香りをうけた。まぶたに一面の水仙の花が浮かぶ。悲しみを乗り越えて、春待つ

島に光をと。