京都新聞 こまど 欄 昭和59年3月 掲載 37歳
冬の終わり
彼岸も過ぎたのに、また雪が降る。我が家では、ここ二年ほどストーブなど、必要なかったのが
今年はそうはいかない。
私の住む団地のすぐ東側に、通称”どんぐり山”いう低い堤防がある。その土手にはその名の通り、
どんぐり、しいなど様々な木が立ち並んでいる。どれもこれも落葉樹とあって、いまだ枝枝は坊主頭のまま。
なのに、つい一週間前、今年初めて、そこで、” ほー、ほけきょっ”と透き通った、うぐいすの初音を聞いて
しまった。忍び音、などではなく完璧な”ほー、ほけきょ”を。
昨年の三月の終わりであった。当時、私は大切なものをなくしたばかりで、気の滅入る日々を送っていた。
その日子供達と、私の住む町を流れる木津川のほとりで半日を過ごした。まだ土色をした草木の残る
中で、やはりうぐいすの鳴き声を聞いた 。
三月や四月は、卒業、入学と明暗の季節であり、転任など人生の岐路でもある。人には、その生涯において
とびたくてもとべない、つらい時期がある。じっと動けず、ただ堪え忍ぶだけの日々は長い冬の寒さにも似ている。
冬が過ぎ、きっと春が来ることに、その木津川辺りの、うぐいすに私は一条の光の差し込む思いがしたのだった。
春の雪に鳴くうぐいすに、今年ももう冬の終わったことを知る。