おばさんのつぶやき
2017/02/10 8:28
二度目のホームページ立ち上げに、こんなに手こずるとは。。。。。。
機器の機能は優れているのでしょうが、静電気反応するのは、
如何なものか。
勝手にカーソルが、あらぬ場所に移動するのには、大変困る。
たかが600字の入力に何時間もかかる。私は、10年前のバージョン
が恋しい。でも現在の機器の能力を、征服したい。やっつけたい。
意地にでも。頑張りすぎて、ミイラ取りがミイラにならないように、
頑張ろう。
2017/02/12
今日は日曜日。雪は降らないまでも、冷たい。とくに買い物もなし。でも、歩いておかないと
足腰が弱る。いつものようにイズミヤまで歩こう。片道10分強。おやつを買って、店内の椅子に
座りながら考えた。このまま帰るより、行きつけの美容室で、カットしてもらおうと。約30分、おし
ゃべりしながら、頭をスッキリしてもらった。家に戻って、ミルクテイーを飲む。そして、おもむろに
これを書いている。
2017/02/24
相変わらず静電気反応に手こずりながら入力している。今日は信じられないことが
起きた。
ファイルしてある文章群があっと言う間に消えた。何を誤操作したのかさえ、身に覚えがない。
苦労して打ち込んだ文章が、、、、、。誰を恨んだらよいのか。気を取り直して、一からやり直した。
何度も上書きファイルしながら進めた。入力中の文章が消えるのは分かるけれど、ファイルの中の
文章が消えるのは、どう考えても腑に落ちぬ。怖い。ウィルスだろうか。
2017/03/03
今日は女の子のお祭りじゃないか。スーパーなんかで、雛あられや白酒が並べられている。
何を隠そう、一週間前に私は雛あられを買って食べた。一人で食べた。娘は、遠く
イギリスにいる。イギリスにも雛の日はあるのだろうか。幼い日の娘を思い出している自分の
歳を考えた。人間は不思議な生き物だ。こんな歳になっても、お雛様を思い出すのだ。歳を
重ねるとは何を言うのだろうか。それは、数字的なものより、精神的なそれをいうのではないかと。
一人、つらつら考えてみた。私はもうすぐ71歳になるぞ、と。
2017/03/09
だいぶタイピング力が回復してきた。習うより慣れろ、かな。
実は、昨日ドメイン獲得の件でトラブッた。三日間程度、私のページが見られないことになった。
前回の立ち上げでは、若かったこともり、本で調べたり、パソコンのサポートセンターに電話
したり、大変さはそう変わらないまでも、今回のようなヘマはしなかった。歳はとりたくない。
今日は、表紙の写真を入れ替えてみた。そしたら、うえるかむ、の下のスペースが空きすぎた。
うまくやろうとしても、出来ない。恐らく、椿の画像を小さくするか、両方のサイズを変えるとか、
やり方はあるだろうけど、もうしんどい。今日は止めとこう。うっかり操作すると、表紙全体を
変えなければならないかも。まあ、そのうちやってみよう。
2017/03/15
サーバー停止という、残酷な状態も脱出。パソコンの不具合もあって、
サポートセンターの遠隔操作で、ようやく切り抜けた。
私の悪い癖で、困れば困るほど、のめり込んでゆく。この一週間、ストレスが溜まりっぱなしだった。
2017/03/16
遠い昔の文章を入力していると、その時代の子供たちのことや
職場でのことが蘇ってくる。
光陰矢のごとし、か。
でも、もう一度ホームページをアップしてよかった。
独り言が、世界中に届くんだ。web 上のことであっても
いいっじゃないか。誰かが私の気持ちを読んで
何かを感じてくれたら、それはそれで
意味のあること。
パソコンに向かっていると時間のたつのが速いこと。
昔、ジャンパーの中に飼い猫を入れて、
ストーブのない部屋でキーボードを
シャカシャカたたいていたころが蘇る。
今、はといえば、、、、、。
指よりも目が怪しくなる。
今夜はこのへんでおしまいにしよう。
2017/03/22
過去の投稿文を入力していると、思考が逆周りする。頭の中の時計の針が戻ってしまう。
随分久しぶりにエッセイを書いてみた。一つの作品を産み出そうとすれば、何をしていてもどんな時も頭の中は
書くことで一杯になっている。より的確な表現はないか、表記はこれでよいか、読み手を意識して言葉を
選んでいるか、・・・・。もう私にはこれ以上の能力は無いのでは無いか。真剣勝負するには、もっと色んな
本を読む必要がある。一年近く前、太宰治の本妻の次女、プロ作家の津島佑子が亡くなった。生前、一人の
記者が彼女に「太宰治のことをどう思うか」と質問したら、津島佑子は「絶対に認めない」と答えたという。
私は、衝撃を受けた。凄いこだわりだ。太宰治は愛人と東京の玉川で入水自殺した。愛人との間に、作家の
太田治子がいる。津島裕子のこだわりも解るような気がする。そこで私は、津島裕子のエッセイを一冊買った。
未だに全部読み切れてない。長い間文章から離れていたし、凡人にはなかなか津島裕子のような見事な
作家の書いたものなど響いてこない。世界が違いすぎる。でもこれは言い訳かも知れない。もっと魂を
込めて読むべきだ。一心不乱に。出来るだろうか。
2017/03/28
一日に、続けて三作品入力できるようになった。これ以上パソコンに向かっていると
疲れる。
今日は、「医療ミス」の記事を入力した。ここをクリックすると記事が読めます。入力しながら自らが受診している
病院のことを考えてみた。腑に落ちぬことが一杯ある。あるけれど、それを投稿しようとすれば、まずテーマが
自然に絞られて、後は大河のごとく文章が湧いてこないと書けない。戸惑いながらでは書けない。書いても、
そんなものは没になる。公に読まれて説得力のある文章を書くということは、自分をさらけだすということである。
それは自分の持っているものが全部出ることであり、逆に言うと、自分の持っているものしか出せないということ。
たたし、独りよがりなものや感情的になったもの、あるいは個人攻撃を思わせるようなものもだめ。
書きたいテーマが山のように、いつも頭の中を占領していることも大事なこと。そうした状態が極自然であること。
要は”書きたいモード”に入り込んでいないとだめ。そんなことを考えながら、今日はつぶやいている。
2017/04/09
一応、手元に残ってる切り抜きは入力しサイトにUP出来た。私の記憶では、まだもう少し投稿文が
あるはず。とくに、50代のものが、少ない。探し出すのは大変なので、あきらめよう。
2017/04/12
数日前に、新聞投稿の入力を終えた。
あんなこと、こんなこと、いろんな思いがこみ上げてきて、
すぐには、つぶやけなかった。
つらつら思うに、人生には何度かの分かれ道があり、その都度
思い迷うものなのだと。
40歳を不惑の年などというけれど、私は大いに迷っていた。
大きな岐路は、結婚三ヶ月目、結婚二年目、結婚三年目。
私は、独身で生涯を通さず結婚・出産という人生を選び、
嫁となり、母親となった。
そのことで、失ったものもあれば、得たものもある。
もうこの歳になって、迷うのは、愚の骨頂か。
今、私の宝物は何だろう。
投稿した内容を裏付けするできる記憶をたどり、それらの
道のりをもう一度文章にしてみたい。
2017/05/08
しばらくの間、ご無沙汰していました。ページの反応がないのが残念。更新する気力が萎えていました。
こんなことでは駄目だとみずからのに言い聞かせて、今日
こうしてパソコンに向かっています。
表紙の画を変えました。
2017/08/02 12:45
なんと約三ヶ月もの間、更新しなかった。書きたいことは山ほどあるのに・・・・・。
少し休憩してから書こう」。
2018/07/06
およそ一年、私のホームページはほったらかしになっていた。
ごめんね。理由は、一方通行で反応がないから。子供みたいだ。
でも人間てそういうものではないか。だれかと繋がっているからこそ
正常な感情をもって毎日が送れる。ちがうかな。
私のホームページにコメントを送信できるようにしてあるが、
よく考えると、受信メールに制限をかけているのだった。
誰からもコメントが届くはずがない。
随分前に、迷惑メールが一日九百件入ったことがあり、
ノイローゼになりかけたことがあった。スマホの契約会社で、
最低限必要な相手からしか受信できないようにしてもらった。
今、迷っている。元通りにするかしないか。
架空の交流でも心は、解され満たされることもある。
2018/07/7
問題は私のホームページを一体誰が観てくれるかと言うこと。
ある出版社の人に言われた。ブログをしはったらええ、と。本物のホームページを持っているのに、
なぜ。。。。。と、私の三流のプライドが頭を擡げてくるのだ。でも本心である。
2018/0708
大雨でかなりの被害を被った地域の皆様、お見舞い申し上げます。
幸いわが家は無事でしたけど。。。
昨日も日課にしている、徒歩片道20分のスーパーまで、カッパと傘で
行ってきました。
いつものように自動販売機のミルクティーをのみ一息ついてから
ゆっくりと品定め。重くならない程度に終了。
自由に飲食できるテーブルで、名前も知らない女性と
世間話をして帰る。
2019/06/11
とても長い間、つぶやかなかった。
少し前、習い始めた絵の教室から、滋賀県の近江八幡へ
スケッチ旅行に。よい天気で暑いくらい。水郷と言えば、葦の茂み、琵琶湖に遊ぶ鴨たちを想像していた。
が、現実は、街中に川があり両岸は石などで囲まれ、小舟はてっきり船頭さんが櫓を漕ぐとばかり思っていたのに
ポンポンポンポン、とエンジンが、、、、、、。時の流れは止められない。何もかも時代なのだ。
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