今年四月から始めた、気楽な書道教室

初めて先生から朱色の小さな丸が

もらえた。

画期的な出来事!!!!

キャハー!!

ただし、この画像をここにアップできるまで

何時間もかかった。

スマホで撮った画像はそのままでは、

ホームページビルダー(ホームページ作成ソフト)

では使えない。

まず、スマホからパソコンに画像を添付fileとして

送信する。送信できても、目的の画像が

どのホルダーに入っているかこれを探すのが

一苦労。そのときそのときで、入る場所が異なるのだ。

画面に目を凝らしてクリックし続ける。諦めてはいけない。

諦めたら先に進めない。忍の一字でクリックし続けるのだ。

例えば、AというホルダーからBに、BからCに、そして

D→E→F、、、、、と、気が遠くなるような

作業が必要な場合もある。

画像が無事発見できても、次にウェブ上にアップできるように

ページを作らなければならない。そこへ画像を置くには、

幾つかの方法があるのだけれど、例えば画像編集ソフト

を使い、コピー→貼り付け、あるいは,直接fileから呼び出すなど、

様々。

平成八年に立ち上げたホームページは、今使用している

画像編集ソフトとは違ってすごく便利だった。

おもしろいように、ページが作れた。だから、狂おしいくらいに

それが恋しい、、、、。

何故あのソフトが今は売ってないのか。

戻ってこい!!



2019/06/30






 今朝、数年前に撮ったパンジーを貼り付けた。

子供の頃、この花は春の花だった。

今は、年がら年中咲いている。かなり強い花で

少々水をやらなくても咲き続けている。

相当永いことほったらかしにして、くたーと、

へこたれても慌てて給水してやると、また生気を

取り戻して何事もなかったように

シャンとして機嫌がよい。

手間のかからないよい子だ。


ところで、偶然ファイルをいじってて、出てきたあの花この花、元はと言えば

デジカメで撮ったもの。カメラにはWifi機能が付いている。それが使えるように、指定の

home pageを開いた。画面の指示通り操作するも、肝心のインストールが

上手くいかない。使用する言語を選択する段階で、先に進めない。何故???

数回試すも、ダメ。

もう一度やってみよう.

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 どうやらインストールは完了したけれど、その先の利用の仕方が

まだ分からない。

この辺で、ひとまず様子を見よう。下手に突き進んでハードを

壊してはいけない。

今日はここまで。

chanchan


2019/6/27

今日は昨夜からの雨続き。

梅雨に突入したようだ。雨降りに困ることもそうない。

結構なことだ。

遠い日を思い出す。年子だった長男と長女、二人揃って

おしめをしていた 時代があり、紙おむつなど

無かった時代、どしゃ降りの雨の中、素足に突っかけを

履いて晒し木綿を買いに走ったことが思い出される。

この時期には必ず思い出す。

乾かないおしめならアイロンがけをと育児書などには

書いてある。けれど、ハイハイを始めた長女と

片ときもジッとしていない長男が揃ってお昼寝してくれる

時間帯には限度がある。

子育てはどんな母親にも重荷になる時期がある。

でも子供は普通確実に成長していってくれる。(運良く五体満足
に生まれてくれたお陰、ありがとう。) 

私の勝手な言い分は、育児には母親の個性を

発揮すればよい、自己流でいい、ということだ。

ヤングママ、頑張らずにガンバレ!!!!

今、朝の八時二十分、もう少ししたら、日課の、スーパーイズミヤへ

 歩いて行きます。

現在、夫婦二人暮らし。子育ては一応  THE END

イズミヤへの道中、咲いていました。雨に打たれて。


2019・06・30

今日は画期的な日。

ホームページを作るとき、画像を置く作業が以前のように楽になった。

スマホで撮った画像をパソコンに送ってからが、以前にも書いたように

その処理に手間がかかったけれど、それは扱いたい画像の場所を

探しにくかったからで、理由は、画像の名前が受信前のややこしい

ままで入ってきた場所もなかなか特定できなかったから。

送信→受信→開く→ここで画像をファイルするときにホルダーを特定して

好きな名前を付ける、この作業を追加したことで容易に画像を見つけ出せる

ことが分かった。以前の画像編集ソフトは、画像をパソコンに取り込みさへ

すれば即それを思うがままに編集できたのだ。

今回のはちょっとだけ手間がかかるけれど、大発見!!!

頭痛の種が一つ解決したぞ。

おめでとう




2019/07/02


昨日から絵の教室で、顔あるいは手を描くことになった。

私は、前もって、遠くに住む娘に、孫の顔写真を送ってもらっており、それを描くつもりだった。

ところが、講座では、「こんな中途半端な写真ではだめです」と、私の心は折れてしまった。

もう一度、娘に頼むことも考えたけれど、今手の中にある写真で描いてみようと思った。

異国で頑張っている娘や孫を思い、クロッキー鉛筆で形を取り始めた。生身の人間の顔を描くのは

とても難しい。そして9歳の男の子のあどけない笑顔をどう表現していいのか、私には未知数だ。

特に、口を開けて笑っている、その上の前歯二本はまさに乳歯から生え変わったとても大きなそれ。

きっと歯の表現の如何で、決定的に全体の出来具合を決めてしまう気がする。次の講座の日まで

二週間。何とか、”孫”を描きたい。


宝塚市に物申す


今日は久方ぶりに電車とバスを乗り継いで、市役所に行った。”市役所前”でバスを降り立つと何か目の前の

風景がおかしい。ここはどこ? へっ? 折よく同じバスを降りられたと思しきご婦人に、バス停変わった

んですねえ、とつぶやくと、そーです、とのこと。”行き方が二つあってね、あっちとこっちですわ”、と教えられた。

言われた、あっちとこっちを見渡すと、遥か向こうに市役所と」思しき建物が、、、、。とにかく、ありがとうございます、と

礼を言って私は歩き始めた。広い空き地があって、何か建物が建つ予定なのだろう、立ち入り禁止の金網のフェンスが

永遠と続く。どこから入れるのや!気色ばんだ私の顔(恐らく)。何分くらい歩いただろうか。以前は、市役所とバス停とは目と鼻の先。

大いに憤慨しながらも用を済ませて、帰りのバス停に向かった。広い道路を渡らなければならない。どこにも横断歩道がない。

信号機もない。猛スピードで突っ走る車の群れ。でも渡らなければかえれないぞ。左右を何度も確認して車の切れ目めがけて

なんとか渡れた。ナント時刻表を見ると、一時間に一本。腕時計を確認すると、ちょうど、出たとこ。帰る方向を見ると、それらしき

バスの後尾が見えた。傍にはベンチが一脚。そこに座って、ジッと一時間待つのか。私は考えた。近くに大型量販店があるのだ。

見渡すと歩ける範囲にそれは確認できた。よしっ、そこで休憩や。歩くこと五分。そして、また信号も横断歩道もない道をドキドキ

しながら小走りで。

 せっかく来たのだから園芸コーナーで、夕顔の種か苗を探した。やはり無い。

諦めて、食品売り場へ。牛乳と小さなパンを買い、休憩コーナーへ。

バス時刻を確認しながら、時を過ごした。

そして、今来た道を、再び命からがら、道路を横切り、無事帰宅した。

それにしても、市役所様、横断歩道と信号は、絶対付けてね。


””表記がでたらめで申し訳ありません
””

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(皇帝ダリアへ )


2019/07/06

今日は土曜日。いつものテレビドラマがない。

今ちょっと、韓国の戦国ドラマにはまってる。

話の筋は、必ず主人公と極めて分かりやすく対抗する人物が

登場する。

でも対抗者は、人間的に”善”の部分も持ち合わせているのだ。

そこが完全に憎めなくて、どこか応援さえしていて、”改心しなさい”

なんて。


2019/o7/o7




硬いコンクリートの僅かな割れ目に、小さな花が己を主張している。

生きるということ。

つめきり草、火照り草とも覚えている。正式には松葉ボタン。真夏のカンカン照りの元、

果敢に咲いている。


2019・07・09

先日市役所のバス停のことで、間違ったつぶやきをしてしまいました。

従来のバス停は元の場所にあります。私の乗ったバスが、

めったに乗らないそれだったので”市役所前”の場所が異なっていた

のです。

でも、やっぱり信号と横断歩道は必要かと。




きのう、書道教室だった

宝塚市の布売にある

„フレミラ”という施設

そこで

帰りのバスを待つ間、スマホで

撮ってみた

きれいなblueだ

2019/07/10

昔、子供たちが小学校高学年になった頃、エッセイ教室に通い始めた。

30歳からスタートした新聞投稿、活字になった自分の文章に今一つ

満足できなかったからだ。もっと的確な表現はないか、そんなもどかしさを

感じていた。

”本気で、作品と呼べる文章を書くということは、常に読者を意識して書くことです。

非日常の世界に飛び越えなさい。例えば、主婦なら少し洗濯物があっても

そんなこと気にしてたら書けません。”

40年近く前の、講師の教えが今も私の精神生活を大きく支えてくれている。

子育て、主婦業、母親の役目そして仕事、と無我夢中の時代だった。

どれ一つ疎かにできない、多くの女性たちが通る道ではないか。

そして一人の人間としての幸せも持ち合わせたい。そういうおおらかな

社会であってほしい。

”ペンは剣より強し”

文章は人の心を捕らえ動かすことができる。新聞投稿などは、反論もあれば

賛論もある。いいじゃないか。人は皆心模様は異なるのだから。


ネクスト