2019/07/23

夏到来、いつもの道端で,公園に咲いている

淡いピンクの花

姿が涼しげだ

今日はイズミヤのテーブル席で、微笑ましい親子を垣間見た。

三歳くらいの丁寧に三つ網をしてもらった女の子、と父親であろう、

一個づつドーナツと小さなパックの牛乳を二人で飲食するところ。

食べる前に、用意した除菌ペーパーで娘の手を拭いてやる。

そして二人で”いただきます”と手を合わせる。

私が注目したのは、アルコール綿のにおいに、女の子が

顔をクシャクシャにしたところ、笑いながら父親が写メを撮った光景。

躾のよい、さわやかな親子だ。

そして思った。きれいな生き方をしている父親と母親に違いないと。

しばし私はいい時間を共有できた。


2019/07・28





 涼やかな花を見つけた。

実際はもっと鮮やかな赤。

誰か花の名前を教えて下さい。


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今年の四月からシニア向けの書道教室に通い始めたことは、前にもつぶやいた。

およそ私は、お習字なるもの苦手極まる。だったら何故そんなものを習おうと

思ったのか。きっかけは筆にある。好きで習っている”絵”を塗るときに、丸筆と言って

習字のそれと形態が一緒なのだ。絵の細かい部分を着彩するときの、筆の運び方、

など、共通するものがある気がする。

とくに、ひらがなは美しい曲線を描く。美の世界だ。絵を描くよう。

書道教室に通いながら、絵を描くことを第一に決めている私は、教室では

異端児だろう。でも許している自分がいる。だって、もうこの年だ、

目くじらを立てて、書道の大家になろうと、誰が年寄りの集まりに参加するだろうか。

年寄りは概ね独りぼっちが多い。それが悪いとは私は思わない。

ただ、話し相手が欲しいのだ。それで習い事を始めたりする。悪いことではない。

幾つになっても好きなことに没頭できる幸せは何物にも代えがたい。

今、絵の教室では、”顔”を描いている。

私は、遠くイギリスに住む、娘の長男、九歳の孫を描いている。

ほぼ完成にしようと思う。今回は画材に筆は使っていない。

書道を勉強することと絵を描くことには距離があるかもしれない。

あるいは無駄なことかも。でも、もうこの歳だ(73)、遠回りもいいじゃないか。

誰に迷惑をかけるわけじゃない。

私は書道教室の反逆児で、いや訳のわからない年寄りでいたい。



こんな感じ。

信乃祐、という。

(画材は茶色のクロッキー鉛筆、色鉛筆と4Bの鉛筆)

2019/07/29

早朝から浴びるような蝉時雨。今日も暑くなりそう。

まだ扇風機で過ごしている。


2019/07/30



他人様には関わりないこと。

私のかわいい子供たちの写真。

数十年前の実家でのワンショット。

写真の裏を見ると、五月一日と記されている。

今、二人は四十歳代。

当時は京都に住んでいた私たち、五月の連休にでも

実家を訪ねたのだろう。

現在その実家に私は夫と二人暮らし。

写真向かって左の長男は京都に、右側長女はイギリスに。

仲の良い兄妹だ。

人生百年の時代だというけれど、そろそろ、家の中を整理しなければと

思っている。

整理しながら、子供たちと過ごした、奇跡を辿り自身の心のやり場も整えたい。

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長女、保育園の延長さんだった頃

三年間通った

『わたし、もお保育園に住み飽きた』

そんな言葉を発した娘だった

お疲れさん、ご苦労様、と今いってやりたい

子育ては、四六時中子供たちと一緒にいることだけが、意味があるのでは

ないと私は思っている。ほんの一瞬でも濃密な時を過ごそうとする

親の意識と努力が功をなすのだと信じている。

あの日あの時、娘が言った言葉『私、もお保育園に住み飽きた』は、

親と過ごす時間よりも、保育園で仲間や保育士さんたちと関わる

物理的な時間の方が永かった、正直な幼い娘の実感であったろう。

きっと多くのことを体感し、思考し娘なりの結果を生み出し、それらは

間違いなく自身のかけがえのないエキスとなって、現在の彼女の

日常を培ってくれていることと信じたい。

習慣も言葉も違う異国の地できっと娘は彼女らしい子育てに奮闘していることと。




2019/08/01


 私は、こんな風にパソコンをたたきながら文章を書いているときが

とても愉快である。そおした作業が好きなのだ。

今の私には好きなことをする時間がたっぷり与えられている。怖いくらいに

ありがたい。なのに、好きでないことをしている。前にもつぶやいたけれど、

数ヶ月前から書道を習い始めた。月二回、電車で通っている。動機については、

すでにつぶやいたので何度も繰り返すまい。

来る10月に、その作品展が予定されている。私は出品しないつもだったが、

気持が揺れている。仕方がないので、練習を始めたら。さっぱり出来が悪い。

大の苦手の”お習字”だ。うまく書けるはずはないぞ。私のとるべき道は、

初心に戻って、作品展を諦めるか、教室そのものから遠ざかるか、なのだ。

暑い八月は休講、九月に入っても、絵の教室が重なり、書道は 欠席 することになる。

とても中途半端である。が、それを覚悟で始めたのだから。 自業自得。

ややこしいことは、辞めておこう。結論は出た。


2019/08/03

いよいよせみ時雨が絶好調。近所のお寺の木立から、鼓膜が破壊されるのではないかと

恐れるくらいの音量、いや声量というべきか、それは轟わたる。



お寺の大木から蝉の大合唱






”夏草や,つわものどもが、夢のあと”

まさに照り付ける真夏の太陽の下、雑草は意気盛ん


僅か徒歩数メートルの場所なのに、日傘をさすと撮りにくい、

帽子をかぶって玄関を出る。


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