この作品は、”香大賞” という、テーマが『読んで香りを感じる』という800字

エッセイに応募した作品です。海外からも応募があり、3600通に及んだといいます。

残念ながら賞は逃しましたが、最終候補に残りました。

八重の老梅
    昭和61年 3月 京都新聞【私の作品】掲載


梅の花といえば、実家の母は、こぼれるような八重咲きを好む。

彼女が好きだった実家の梅の木は、かれこれ百年近い老木であった。

八重咲きだからか、他の梅の花に比べて少し開花が遅く、それがまた

母には値打ちものらしかった。老木ゆえ、すでに幹の真ん中はえぐられ

たように朽ちてこけむし、年々、枝先にふくらむ蕾の数も淋しくなる一方だった。

来年こそ、よう蕾は付けまいと、母は薄桃色の八重の老梅を振り仰いでは、ひどく

残念そうであった。

頬に柔らかな南風に乗ってあたりに漂う老梅の香りを、母はまたこれ以上かぐわしい

ものは他にない、と絶賛した。

一徹でワンマンだった父も、五年前に他界した。幼い私の目から見ても、およそ非合理

と思える彼の言動にも、明治の女だった母は、グの音も出せなかったようだ。私は母を

おとなしいだけの人だと思っていた。

毎年春先の庭で、そのおとなしい母が、一重の梅は寂しいから嫌いだと、まるで生きた人間に

話しかけるように、ほんまに見事やなあ、生き返るようやなあ、と幾重にも重ねた花弁に

見とれていた。けれど、幼い心の目には、老木は老木でしかなく、たかが梅の花であった。

そのくせ、そのときの母の、どこか悲しげな目が妙に気になって、私はいつまでも母の傍ら

を去り難かった。

幼い私に、結婚よりおんな一人、堂々と生きてゆく人生を説いて、単純ではない心の襞

を垣間見せた母。その母の内面に揺れ続けていたものが、結婚して不惑を迎える私にも

ようやくわかるような気がする。人は、今幸せであることとは無関係に、より贅沢な心の

オアシスを求めては、ふと迷うもの、と。

あの老梅は母の心のオアシスであったに違いない。今、母の老梅が無性に懐かしく

おもいだされる。その私にも、ほんのりと胸の膨らみはじめた娘がいる。









応募する前に、京都新聞社からいただいた手紙があります。

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